※実話をもとにしたショートストーリー
譲り手の心境
中小企業のM&Aで一番多い譲渡理由は、「事業承継してくれる人がいない」というものだ。
継いでもらおうにも息子は大手メーカーの管理職で今の仕事を辞める気はないし、社内にも社長にふさわしい人材はいない。
では、廃業しようと考えてみるものの、社員や取引先のことを考えると頑張らなければと思ってしまう。
そして何よりも、まだまだ借金もいっぱいあるので今廃業したら返済の目処もたたない…。
「そんなわけで社長候補を雇ってみたが、使い物にならないのでクビにしたんですよ」
今から数年前、ある知人の紹介で伺った「株式会社日本橋製作所」の佐藤社長は、
一通り会社の歴史を語った後こう言って力なく笑った。
ゴム製品の販売を行っている同社は、社歴40年、社員5名、売上規模2億円程度という典型的な中小企業。
十数年前に社長として同社に転職してきた佐藤社長は、ゴリラのように見た目はゴツイが誠実で、
70歳までに社長職を譲ろうと思って数年前から自分の後継者候補の採用を続けてきたそうだ。
しかし、採用する人材がみんな問題を起こすので頭を抱えていた。
最初の候補者は仕事ができないのに怒鳴り散らす、パワハラタイプで社員からの反発も大きく解雇した。
次に、取引先からの紹介で高学歴社員を雇用したものの、中小企業の風土に合わず、文句ばかり言ってさっさと辞めてしまった。
その次の候補者は仕事もできて、ハツラツとしていたので期待をしていたが、女性社員からの「セクハラを受けています」という告発により解雇。
この間、無情にも数年が過ぎ去り、いつもの間にか佐藤社長も70歳を超えてしまっていた。
そんな時、ある新聞で見かけた「M&A」という文字に興味を持って知人に相談したところ、我々を紹介してもらったという。
早速、M&Aの手順や相手探しの方法、秘密保持契約、そしてアドバイザリー契約書や報酬体系の内容説明を行い、後継者を外部招へいする方針を変更し、M&Aで事業承継を目指すこととなった。
佐藤社長としては、自分が思い描いていたリタイア時期を大幅に過ぎてしまっているので、できるだけ早くM&Aを完了したいという希望を伝えてきた。この時点で10月、春には完了したいということなので、実質半年で決着をつけなければならない。
早速、M&Aの相手探しをスタートすることにした。
何社かの候補へ打診をしていたところ、ゴム製品のメーカーから「興味がある」という回答を得る。
ここまでわずか数週間。「これは早く進みそうだ」と思いながら喜々としてメーカーを訪問、両社の面談も設定して製品開発の話題でも盛り上がるほど。
ところが、いよいよ具体的にM&Aの条件交渉へ、と進んだあたりから急にスピードが遅くなった。
理由を聞いてみると、親会社の反対にあって進めづらくなってきたとの回答。
それでも現場は進めたいという気持ちが強く、親会社の説得を続けてみたが、数カ月たっても進行する様子がない。
気付けばすでに1月。タイムリミットが近づいてくるにのに、一向に親会社がOKするような気配も感じられない。
いよいよ焦りを感じるようになってきた。
佐藤社長も状況を察知し、ついに決断する。「2月末までにOKが出なければM&Aは諦めます」と通告してきたのだ。
しかも、なんと我々との契約も解除だという(M&Aを諦めるのだから当たり前だが)。
あぶら汗が背中を流れる。
これはまずい。
そこで第二候補として素材商社の小松マテリアルにノンネームで打診をしてみると、すぐに「興味あり」という回答が来た。
老舗の素材商社で堅いイメージのあった同社は、意外にも既存事業を活かせるM&Aに積極的に取り組んでいるという。
時を同じくして、先に検討していたゴム製品のメーカーから正式に見送りの連絡が届いた。
こうして小松マテリアルとの交渉を本格的に開始することとなったのである。
早速インフォメーションパッケージを渡して検討を開始すると、決断の早い社長だったこともあってとんとん拍子に話が進み、わずか2ヶ月程度でDD実施まで漕ぎ着けた。
しかし、この時点でもう春。当初タイムリミットとしていた3月末が過ぎ去り、4月になっていた。
焦りながらも双方の事情を調整し、クロージングを間近に控え、「うまくいっている」と感じている矢先、佐藤社長から電話が入った。
なんと、「本件の検討は見送りたい」というのだ。